地名に刻まれる水害の歴史

家を買う上で欠かせないのがハザードマップの確認です。
災害は発生するタイミングは想定外ですが、起こり得る被害は「想定内」であることが多いです。

特に水害は各地に被害の履歴が残されていることが多く、地名もまた水害の歴史を表している場合があります。
今回は東京の実際の地名をいくつかご紹介いたします。

<東京の環境>
東京の年降水量はおよそ1400mmで、これは中緯度の先進国の首都としては群を抜いて多いです。しかも隆起洪績台地の武蔵野台地とその東に連なる豊島台、本郷台、淀橋台、目黒台、荏原台が分岐して、その間を石神井川、谷田川、小石川、神田川、桜田川、渋谷川(古川)、目黒川、呑川などの中小河川が刻む構造になっています。

<江古田>
台地の上を流れる河川は、流れは緩やかだが、その分だけ水はけが悪く、しばしば溢水します。中野区江古田一~四丁目は神田川支流の妙正寺川・中新井川が沼袋台を挟んで並流します。
この江古田という地名はは、エゴノキ科の植生に由来とする説が根強いのですが、エゴノキは果皮にエゴサポニンを含み、古来、洗剤として利用されてきました。エゴサポニンはアルカロイドの一種で、口に入ると喉を抉(えぐ)るような苦みがあります。方言エゴは各地で、「山の窪地」とか「水で抉られた川岸」、「川の流れが淀んだ所」、「入江」などの用例があります。
妙正寺川は近年、溢水した記録はありませんが、集中豪雨があれば、いつでも溢水する可能性があります。

<滝野川>
隅田川の支流・石神井川は小平市の湧水を水源とし、西東京市、練馬区、板橋区を経て北区まで延々25kmを流れ、北区滝野川でおよそ20m落下し荒川低地に流れ出ます。この付近で石神井川は「音無川」とも「滝野川」とも呼ばれますが、音無とは「音を成す」意であり、滝野川とは文字通り「滝のように流れる川」のことです。
北区豊島5丁目付近で隅田川は約1・5km東に大きく湾曲しますが、この突出部は江戸時代、「天狗の鼻」と呼ばれていました。石神井川に運ばれた土砂が低地に運ばれて堆積したものです。古代以来の武蔵国豊島郡豊島郷の名は、この突出部をト(尖)シマ(砂州)と呼んだことが由来といわれます。
石神井川の集水面積・流路は地質時代と基本的に変わりはないので、今後も増水・溢水、そして滝野川、王子付近で土石流発生の恐れは十分ありえます。

<押上>
北区豊島から隅田川の約10km下流の墨田区押上は、スカイツリーが建設されて、東京の新しい観光拠点となりました。江戸開府以前、隅田川が二手に分流していたと思われ、上流から運ばれた土砂が押し上げられた地点だったと思われます。あるいは、東京湾を襲った津波が、ここまで押し上げられた可能性という可能性もありえます。

<三田>
平安前期編纂の『和名抄』国郡郷部には武蔵国荏原(えばら)郡御田郷の名が載りますが、現在の港区三田か、目黒区三田のいずれかであろうと言われます。各地の古代地名の例からみて、この「御田」は水田のことでしょう。
中世以来、芝浦は江戸前(東京湾)の重要な漁港で、シバエビの名はその地名から出たものといわれます。室町期の「長録江戸図」では高輪の北に二つの島を描き、江戸初期の「慶長図」は古川(渋谷川の下流、新堀川とも)の下流が三角州となって二手に分かれて海に注ぎます。
つまり、港区三田はその三角州の一画で、江戸期には大小の大名家の藩邸(上屋敷・中屋敷・下屋敷)に取り込まれ、南側分流はわずかに入間(いりあい)川などの運河に姿を止めるにすぎませんでした。いずれにせよ、「水田」と呼ばれてしかるべき土地です。
一方、目黒区の三田は、目黒川左岸の土地。目黒川は「巡(めぐ)る川」の意ですので、曲流を繰り返してどこで溢水してもおかしくありません。現に目黒川は数年に一度、十数年に一度の頻度で氾濫しています。

このようにあらゆる地名は災害の履歴書とも言えます。購入を検討しているエリアのハザードマップを確認することはもちろんですが、その地名の由来を調べてみるのも一つなのかもしれません。

リニュアル仲介の稲瀬でした。

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