
窓の形状の進化
最近の木造住宅の窓は、どんどん小さくなっていると思いませんか。
通りすがりではありますが新築途中の建物を見て窓の大きさや数をつい見てしまいます。
建物の「高気密」や「高断熱」を推奨されているからなのだと思いますが小さい窓が多くなってきたと思います。
とはいえ居室の窓の大きさは建築基準法で定められているので小さくなった分数が多くなったのかも知れません。
日本の窓の歴史
日本の住宅の始まりである竪穴式住居では、天井に開口部が開けられていました。
現在のような窓が現われるのは室町時代中期のことです。
銀閣寺に残る「書院造り」には、窓のルーツといえるものが出現します。
床張りと蔀戸(しとみど)が中心の「寝殿造り」とは違い、「書院造り」の建物には床全体に畳が敷かれ、襖などの引き違い戸で部屋が仕切られていました。
加えて、家族の生活空間、客間、台所、さらには床間や書院なども設えられており、その後の和風住宅の原型となっています。
寝殿造りが貴族の住居だったのに対し、書院造りは武家の住居として発展したため、「武家造り」とも呼ばれています。
書を読むための机があり、書物や硯、筆・文鎮を置く棚なども設けられ書院窓(木枠の片面に和紙を張った、採光可能な明かり障子)が付けられその光を頼りに書物を読んだそうです。
江戸時代中期頃になると与力窓(外壁に設けられた、横に太い格子を取りつけた窓)引窓(屋根に設け、綱を引いて開閉する窓)突き上げ窓(上框(うわがまち)を蝶番(ちょうつがい)や軸金物で固定し、外側に突き出して開ける窓)台所などの採光や煙出しに使用されているようです。
日本でガラス製の窓が造られるようになるのは明治時代以降です。
日本の窓は、時代とともに窓ガラスの普及や、アルミサッシ、樹脂サッシなど素材の進化を遂げてきました。
大正時代までは、木の枠に紙を貼った障子や木の戸が主流でしたが、明治時代以降、西洋の建物が増えたことに伴いガラス工業が発達し、ガラス窓が普及しました。
昭和時代には、ガラス入りの窓が一般家庭に普及しました。
アルミ窓が主流になり、窓からのすきま風が少なく、雨が家の中に入ってきにくいようになりました。
樹脂窓やアルミ樹脂複合窓が登場し、断熱性に優れた新しい素材の窓に進化しています。
日本では高温多湿という気候から、窓などの開口部を大きめに設け、風通しをよくすることが目的でもありましたが時代が変わり、
空調設備が整い開口部の大きさにも変化が起きているのかもしれません。
住む場所にもよりますが外の景色を見て、窓から暖かい日差しを感じられる窓が私は理想です。
お住まい探しの際には窓の向きや大きさなど確認して日の入り方や風の抜け方なども注意して見て頂ければと思います。
リニュアル仲介、渡辺でした。